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シリーズ:ユネスコエコパークで活躍する北杜のプロフェッショナル Vol.1

 日本で唯一、ひとつの自治体に2つのユネスコエコパーク登録地がある北杜市。
 ユネスコエコパークは、私たちの身近な生活に溶け込んでいます。
 自然や生物多様性、伝統文化を保護するとともに、次世代へと継承するため、様々な取り組みが広がっています。
 そんな、北杜のプロフェッショナルをシリーズでご紹介します。

 北杜市ふるさと親善大使
 花谷泰広さん

花谷さんの今の活動は?

 株式会社ファーストアッセントという会社を母体に、北杜市の施設である甲斐駒ヶ岳七丈小屋とアグリーブルむかわの運営、北杜市とノースフェイスとの包括連携事業の中でやっているマウンテンタクシーの運行。さらに昨年4月に立ち上げた一般社団法人「北杜山守隊」で、登山道整備を通じて環境保全活動を行っています。

甲斐駒ヶ岳の魅力はなんですか?

 日本の山の特徴は3つあると思います。1つ目は生活の山としての里山。2つ目が山岳信仰としての山。3つ目がアルピニズムと言われている、明治時代以降にヨーロッパから入ってきた、「より高く、より困難な」課題に挑戦する登山。こういった3つの要素があるかなと思っています。
 甲斐駒はこの3つの全てを兼ね備えている山だと思います。2つ兼ね備えている山はたくさんあると思うんですけど、人々の生活から信仰から、アルピニズムまでっていうと、なかなかあるようでないんですよね。多様性ということが甲斐駒の魅力だと思います。

甲斐駒ヶ岳の里山的な要素とは?

 標高でいうと日向山と同じくらいの標高帯になってくるので、1,600m~1,700mくらいまでなんですけど、甲斐駒も昔はそこまで馬が上がっていて、切り出した木をそこから馬に曳かせて下ろしているんですよね。そういった跡も山中に何か所も残っています。あとは炭窯があったりと、生活に密着していたことを感じさせます。

甲斐駒ヶ岳はある程度登山経験がある人でないと登れない山でしょうか?

 そうですね。でも登山する人にとっては、目標となる山ではありますね。いつかは甲斐駒、しかも黒戸尾根、白州から登りたいという。少しでも楽をして登ろうと思うと長野県の伊那市側から登れるんですけど、黒戸尾根から行きたいというのは、いち登山者にとって目標であり、憧れであるというのは、今も昔も変わらないと思います。七丈小屋に泊まる方は白州側からの登山者ですね。

花谷さんが登山を始めたきっかけは?

 僕は兵庫県神戸市で生まれ育ちました。神戸には六甲山という里山があって、標高は一番高いところで931mしかない非常に低い山なんですけど、町と山が非常に近くて、その境目がないくらい自然と山に入っていくような場所で、小さいころから山の中が遊び場でした。
 神戸の面白いところは、小学生対象の登山教室があって、当時は神戸市の教育委員会がやっていました。柔道教室と剣道教室と登山教室という組み合わせで、なかなかすごいお土地柄だったと思います。
 神戸ってよく近代登山発祥の地と呼ばれていて、神戸は江戸時代の末期から国が鎖国から開国に向けて動き出したころに、外国人が居留していた場所のひとつでした。特にイギリス人の居留者が多かったようです。ヨーロッパではすでにレジャーとして山に登る文化が定着しているところだったので、たまたま神戸にいた外国人たちが、「裏に山があるじゃん」と言い出して登るようになったのが「六甲山」なんですよね。
 それまで日本人にとって山に登るという行為の目的は、狩猟採集など生活の糧を得るためと、信仰のための2つしかなかったところに、レジャーとして山に登るという文化が入ってきて、それが最初に定着したのが神戸というお土地柄でもあるんですよね。
 だから実際、神戸という土地は、市民ハイキングの文化が定着している所で、山は低く街に近いので、しんどかったらロープウェイで降りてこられるし、みんな比較的ふらっと山に行く感じなんですよね。だから、小学生の登山教室もあり、すごい山に親しめる環境が整っているところだと思います。

そんな中でさらに深く登山に関わることになったのは?

 僕らの世代はみんな植村直己さんに憧れを持っています。小中学校は登山教室に通って、高校生は山岳部に入っていて、徐々にフィールドを広げていきました。その頃になってくると、既にその頃には亡くなっていた植村直己さんや、国内外で活躍していた登山家の記録をみて、「いつか僕もヒマラヤに、海外の山に行きたい」と思うようになり、山岳部が日本で一番強かったという理由で、神戸を離れ信州大学に進学しました。

ヒマラヤ登山は大変ですか?

 そうですね、まず時間がかかりますね。標高が高いと空気が薄いので、高所順応が必要です。いきなり人間は5,000mや6,000mのところに降ろされると、空気が薄すぎて適応できないんですよね。だけど、麓からゆっくりと時間をかけて登ることで、人間は適応能力が高いのでだんだん薄い空気に身体がなじんでくるんですよね。そのためには、ある程度の時間が必要です。1日や2日で体が変わるわけではないので、滞在時間はどうしても長くなりますね。身体を慣らしながら標高を上げていく必要があります。
 標高に対しては時間をかけ、あとはそこに技術的な難しさがどのくらい加わるかはその山の険しさにもよるので、日本の山と同じで歩いてすんなり登れるようなところもあれば、登山技術を駆使して登っていかないといけないようなところがあるので、それは山によりますね。

下準備はどうするのでしょうか?

 僕が好んで登る未踏峰の面白いところは、あまり情報がないところなんですよ。行ってみないと分からないことが多いんですけど、最近は便利な世の中になりGoogle earthというものがあり、大体山の様子が分かります。ただディスプレイ上で見るのと実際に見るのでは違うので、それを現地でいろいろ判断して何通りかパターンを考えるんですけど、行ってみたら「やっぱりこっちは行けないな」とかを現場で修正しながらやっていくのが楽しいですね。だから答えがないんですよね。現場で全部考えて判断しないといけないという。

海外登山の機会を作るというプロジェクトを主宰されていますね?

 年に1回、今年は秋に行く予定をしています。若い登山家を育てるため、勉強の機会を作るということが大切だと考えています。しかし、費用面での負担がそれなりに大きく、若いうちにぽっと出せる金額ではないんですよね。僕も初めての海外登山は大学の在学中に行っているんですけど、その頃は現役学生の費用負担はすごく安くしてもらっていたんです。そのおかげで行けたので、同じようなものを作りたいなという想いがあるんですよね。
 それは北杜でも同じで、いま山岳会とかもなくなってきていて、山のコミュニティもどんどん変わってきています。昔は僕みたいに山岳部などにいて、先輩が行くぞと言えば連れて行ってくれるような機会がいくらでもあったんですけど、それから20年、25年経った今は、そんな人たちも歳を取り、規模が縮小したことで機能不全になっています。

花谷さんがこの地を自分のフィールドとして考えるようになったのは?

 いわゆるクライマーにとっては、おそらく日本で一番恵まれているのがこの辺りだと思っています。移住したのが2007年になるので、今年で丸15年になるんですけど、その頃一番ロッククライミングをやっていました。

登山者用のマップを作りもしていましたね?

 登山者の安全のためです。この地図に示されている難易度別の色というのは、同様の地図を整備をしているところでは共通の表記なんですよね。例えば、赤という色があってそれは北アルプスに行っても、どこに行っても同じくらいの難易度なわけです。求められる技術や状況は同じなので、どこに行ってもひとつの指標になります。

登山道の整備について伺いたいのですが、いま登山道の整備はどの辺のコースを?

 甲斐駒の黒戸尾根、日向山、尾白川渓谷の3つと、ユネスコエコパークの関係で中山ですね。全部南アルプスユネスコエコパークのエリアです。
 整備の考え方としては「近自然工法」を採用しています。基本的な考え方として「生態系の復元」というのが1つのキーワードになります。要は、生態系の底辺がしっかり住めるようになると、自ずと生態系が戻っていくという考えです。これはもともと河川で行われていた、近自然河川工法というものが原点です。河川の場合だと砂防堰堤だとか治水のためにコンクリートで固めたがゆえに川の生態系が狂ってきて、川虫がいなくなったり、この辺だと蛍がいなくなったとか、いろいろなところにつながってきます。
 登山道も同様に土木的な施工を行ってしまうと、そこに元あった自然が戻ってくるかというとなかなかそういうわけではない。僕らは生態系の底辺はなんだと考えるかというと「植物」だと思っていて、植物がちゃんと戻ってくることによって自ずと周りの自然も戻ってくると考えています。
 なぜこういったことに取り組み始めたのかというと、登山者が増えたり、雨が降ることによって、元々あった植物が踏まれてなくなってしまったり、土が流れていって、そこに水が流れて削られて浸食されていくのですが、しっかりと整備されている場所は少なくなってしまい、今ではほぼ放置の状態になっています。そういったものを今から手をかけていかないと、このままだと消費する一方なので、自分たちの子供や孫の代になった時に、ボロボロの登山道しか残っていなかったらだれも登らなくなってしまいます。
 近自然工法では、自然に元々ある構造を模して施工するんですけど、例えば自然界には杭で打つとか横一文字の階段とか存在しないじゃないですか。そういった発想で施工します。そしてできる限り資材は現地調達をしたいと思っています。このあたりの森はかなり豊かなので付近に倒木などたくさんあるので、そういう資材を活用しています。

作業の協力者は?

 現場の規模によります。去年は小学生と一緒に取り組んだ場所もあれば、北杜市とノースフェイスとのイベントのように、多くの人数を投入して行うこともあります。そのとき集まる人数によって作業場所を変えればいいので。
 道を直したり保全の活動に自分が参加すると、その山に対する愛着はだいぶ変わるものです。日向山の道を直したことが、またここに来ようと思うきっかけにもなります。自分が施工した場所は気になるものなので、ここはどうなっていくのかと気にして、今後も継続してみてくれるようになればいいなと思います。

子供たちを対象にした日向山登山は3年目くらいになるかなと思いますが。

 白州小学校で3年目です。目に見える変化でいうと、保護者の参加が増えました。特に夫婦での参加が増えました。日向山登山をきっかけに親同士のつながりも増えて、日向山また行ったり、甲斐駒に行ったという家族もいました。

今後、ユネスコエコパークをよくする活動で思うことは

 ユネスコエコパークでは、保護の一辺倒ではなく、利活用のバランスをとって経済活動を行うことが根本となる考え方です。同じユネスコでも、世界自然遺産は厳格にその自然を守りましょうねという発想ですが、ユネスコエコパークはちゃんと利用もしましょうね、文化も継承していきましょうね、という発想だと思っています。
 僕は、その考え方に全面的に賛同しています。しかし、現状は利用が先行していて、保護については仕組みすらもできていない状況です。利用と保護のバランスを保つというのが自分のキーワードになっていて、北杜市が先進事例になるようにと考えています。
 行政目線だと「人が何人来たか」とか「利用者は何人いたか」という利用者数でカウントするのですが、それでは「要はたくさんくればいいじゃないか」という論理になってしまいます。
 たしかにたくさん来ることは良いことですが、たくさん人を受け入れるにはそれなりのバックアップも取らないといけないと思います。自然環境を素材にしてお客さんを呼び込むのであれば、山に入って「なんなんだこの山は?」という状態だと、人は来なくなるので、その受け入れるための目線は重要だと思います。
 人は来るけどその分、ちゃんと自然もよくなっていくような状況を、責任を持って作り出さないといけない。今後はそのような取り組みがされているかどうかというのも、例えば外国人が選ぶ観光地の一つの指標となってくると思います。
 世の中的には今後ますますサステナブルやリジェネラティブ(環境を良い状態に再生する)などといった考え方が求められてくると思うんです。

持続性を維持するためには、収益も考えないといけないですよね

 そうなんです。例えば有料の登山道整備ツアーを開催しています。普通はボランティアで行うという発想があると思うんですけど、ボランティアの善意に支え続けられることが持続性につながるでしょうか。そうではなく参加するにはお金がかかりますという風にして、仕事として整備を行う人にきっちりとお金が行き渡るようにしたいと思っています。最終的には入山料や国立公園の入域料など、受益者による使用料が財源にできるようになればいいなと考えています。

利用者数のお話が出ましたが、保護の観点でどういう活動をしたいですか?

 僕は登山道の保全にコミットしようと考えています。サントリーさんがやっているような森づくりとは似て非なるものだと思っていて、森は水源を豊かに保つなどの役割があると思いますが、登山道は人が行き来する道であり、登山道がしっかりしていないと人が誰も登らなくなり、この山の自然が素晴らしいとか、そういうことを実際に体感ができなくなってしまうと思います。だから登山道はとても重要なインフラだと思います。国立公園はまさにそういう場所だと思いますが、人が自然に触れて「この自然は素晴らしいから守らないといけないな」と思う心を養う場所だと思うんですよね。
 登山道が荒廃して山にアクセスできなくなると、山の大切さが実感できなくなってしまいます。山に登れなくなってしまうと、この山を守りたいとか、この自然を保護したいと思う気持ちは起こらなくなってしまいます。そういう意味でも登山道の保全は大変重要なミッションだと思っています。

みんなにも読んでほしいですか?

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