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=特集= ~増富に移住して~

山梨県北杜市須玉町増富地区では、少子高齢化による過疎化が進み、空き家も増えています。そうした中にあって、増富に移住して居を定め、地域にとけこんで生き生きと生活している方々がいます。
今回特集記事として、そんな方々八名に寄稿していただきました。地元在住の私たちが、改めて「ますとみ」を見つめ直す一つの機会になればと思います。

〇増富に出会えてありがとう

日影集落 古山憲正さん

 増富地区日影集落にきてちょうど三年の月日が経ちました。移住当時は二十二歳で、今はもう二十五の歳を迎えています。東京のある八百屋で、増富に住んでいた西川さんにお会いしたことで北杜市に来るきっかけをいただきました。
 この土地に出会ってから自分が挑戦したいことをなんでもやってきました。東京のように近くになんでもある場所ではありませんが、自分自身が興味を持ったことに対して行動していけば、お金を使わなくても、また知恵を働かせれば、なんでもできる場所であるからです。
 山深い土地で生きていくために何のノウハウもない私でしたが、村の人たちがいろいろと心やさしく教えてくれました。野菜の播種時期、収穫時期、冬野菜の貯蔵、ジビエの解体作業、こんにゃく作り、伐採、ヤギのお世話等々。地元の人たちからしたら当たり前のことかもしれませんが、私が教科書では教わらなかった増富ならではの暮らし方、山で生きていく知恵を分け与えてくれました。こうした知恵は、山の暮らしに限らず、これからの人生で何か大変な出来事にあったときにも必ず生きて働く自分の知恵であり道具であると思います。
 まだまだ三年足らずの増富での暮らしですが、これからも先人が築き上げた生活の知恵や文化をもっと知りながら、私なりに若い世代の人たちや、街で息苦しい思いをされている方に少しでもこの生き方とうつくしい自然を伝えていきたいし、同時にまた私自身も新たな人生の教科書を作っていきたいと思っています。
 どこか他所に出かけると、不意に、ほっとする増富に帰りたくなるときがあります。そのぐらい私はこの地を愛しています。
 増富に出会わせてくれてありがとう。改めてそんなふうに思っています。

〇増富に魅せられて

東小尾集落 杉山さん

お蚕さん

 およそ十年前、増富温泉に入りに来たのがきっかけで、気付けば増富は毎月通い続けるお気に入りの地になっていました。
 山々の緑、青い空、川の流れる音。いろいろな地を旅して来ましたが、これらがこれほど見事に調和した地は他にはありません。
 さらに地域の皆さまの優しさに触れ、ますます増富が好きになり、生活の一部になって行きました。
 地域の方の紹介で古民家を購入でき、永住を念頭に改修し昨年六月に移住を実現しました。梁についていた繭を見て、養蚕に取り組むことを決意し、五百頭と少量からですが蚕を飼い、繭を取ることができました。畑に植えた桑を鹿に食われた時には途方に暮れましたが、地域の多数の方から桑を取って行ってもよいとお声がけ頂き、勇気をもらい、再び増富の皆さまの優しさに触れることができました。
 増富地区文化祭作品展に養蚕関連の作品を出展した時には、多くの方から懐かしいとの言葉を頂き励まされました。最近では藁細工にも挑戦しています。ここでも多くの方々に協力して頂きました。お蚕さんや藁細工を通して昔の増富の生活に想いを馳せています。
 増富に住む以上は花豆や凍み大根作りなどにも取り組み、増富ならではの生活を送りたいと思っています。その一方で、増富の地に新たな風を吹き込み、地域の活性化に少しでも役立っていければと考えております。
 これからも地域の行事に参加するなど増富の皆さまと共に歩んで行こうと思いますので、よろしくお願いします。

〇これまでとこれから

黒森集落 渡部貴志さん

 増富地区黒森での暮らしは、今年で十二年目を迎えました。
 もともと農業の研修と自然豊かなところへの移住を目的に、東京から単身でやってきました。その間、妻と出会い結婚、子供三人にも恵まれ、楽しく農業を続けています。縁もゆかりもなかった私たち家族が、今こうしてここで穏やかに暮らすことができるのも、集落の人たちとの交流やお付き合い、支えがあってこそのものだと思います。
 実家の両親からは移住や農業を選択した時点からずっと反対されてきました。誰であれ、何の基盤もないところに移住したり、低収入で身体を壊したら収入さえなくなるような職種を選ぶ子供を、賛成するはずはありません。学校の教科書とはまったく反対の選択をしてしまいましたが、家族ができ、幸せに暮らしている様子がわかると、その厳しい顔つきも、少しは和らいできたようにみえます。
 不思議なもので、私もこうした暮らしを明確に目指していたわけではありませんでしたが、ここでの暮らしや周りの人たちとの交流を続ける中で、粘土づくりをするように少しずつ形ができてきたように思えます。これから先どのような形になってくるかまだわかりませんが、地区の人たちと共に歩んでいけたらとてもうれしく思います。
 これからもこの若輩者をどうぞよろしくお願いいたします。

〇自給自足をめざして

黒森集落 諸橋正達さん

 少し自己紹介をします。妻と子どもの三人暮らしです。家は黒森地区にあり、農業で生計を立ててています。妻は私より二年ほど前に黒森地区に移住して農業に従事していましたが、私自身が移住してきたのは二〇一九年でした。
 移住する前は約八年間、東京でサラリーマンをしていました。東京での生活は楽しかったのですが、常に消費者だという意識がどこかにありました。また、都会生活の反動からか、自然の中で身体を動かすことが好きになり、山登りが趣味となりました。その影響で食生活など健康を意識するようになりました。
 そのようなことがあり、自分の食べ物は自分で作り、自然の中で体を動かす仕事をしたいと考え、農業を主たる仕事にすることに決めました。
 移住先として北杜市を選んだのは、東京からほど近いこと、山が近く自然が豊かであることが理由です。増富地区は、瑞牆山、金峰山への山登りで何度か訪れており少し土地勘がありました。また、農業研修のご縁もあって黒森地区に移住することになりました。
 この地に暮らすようになってからは、四季がはっきりと感じられ、一年を通して生活にメリハリができました。鶏を飼ったり、原木シイタケを育てたりと里山の生活に勤しんでいます。
 黒森地区の方々は皆気さくで、とても良くしてもらっています。おすそ分けをいただいたり、生活の知恵やルールなどを教わりながら楽しく暮らしています。
 これからは養蜂、山菜採り、きのこ採り、渓流釣りなどを地域の人に教わりながら、ここでの生活をより楽しめたらと思います。

〇瑞牆山の見える地で

黒森集落 大中克敏さん

 私達は以前、新潟県の飲食会社で、お互い店長として忙しく日々を過ごしながら、休みの日は趣味のクライミングを楽しむために瑞牆山に通っていました。凛とした空気が流れ、訪れるだけで心が洗われるような気がするこの場所が好きでした。
 仕事も私生活も何不自由なく暮らしていた頃、新型コロナウイルスの影響で店舗休業や営業形態を変更せざるを得ない状況になり、とても歯がゆい思いをしました。日々変化する会社の方向性と少しずつズレが生じ、私達も今後について考え、「やりたい事をやりに行く」と移住を決心しました。
 移住先はもちろん瑞牆山周辺の一択でした。情報収集と訪問を繰り返し、西小尾、東小尾どちらの地域も印象が良く迷いましたが、最終的に「瑞牆山が見える家に住みたい」という妻の想いで黒森に決定しました。
 職は今までの経験を活かせるものがあればと考えていましたが、幸い黒森地区から飲食店をお借りすることができ、今年で開業三年目を迎えます。全て集落の皆様のご協力なしには成し遂げられなかったことで感謝してもしきれません。
 ここでは人と人との距離がとても近く、困っている人がいたら手を差し伸べたり、おすそわけが普通に行われるなど、集落の暮らしの中では当たり前のように見えることが、移住した私たちにはとても新鮮に感じられました。
 料理人である私は、「ゼロから料理をつくりたい」との思いで移住後に狩猟免許を取得、現在は獲物の捕獲・解体・調理まですべて一人で行っています。妻は渡部農場さんにて研修したのち初めての農業に挑戦。今では約三十種類の野菜を栽培できるようになり、店舗で使用する肉や野菜は双方の力で可能な限り自給しています。山の恵みである山菜やキノコについても少しずつですが知識を身につけ、こうした食材を使った料理をお客様に提供することで、店舗から地域の豊かさを発信できたらと考えています。
 山間地域ならではの不便さや不自由さもありますが、これからも自分達がやりたいと思えることをこの場所で楽しみながら暮らしていき、そのことを発信していくことでまたいろいろな人にこの地域に住みたいと思ってもらえるようになればと思います。

〇ここがわが子の故郷になる

黒森集落 藤野俊さん

 増富に移住できて本当に良かったと思っています。
 農作業中にふと目に入る景色、田んぼから聞こえてくる蛙や虫の声、集落の方との何気ない世間話、凍える寒さの中で薪を取りに出た際に見える満天の星空、そういった日々の暮らしの中に小さな幸せを感じます。
 農業で寝る間もないほど忙しい時期は、青空のもと綺麗にそびえ立つ瑞牆山を眺めながら、「なんで自分はこんなところで農業をやっているんだろう」と不思議に思えてくるほど、今の暮らしは自分の生まれ育った環境と全く違います。スローライフな田舎暮らしなど夢のまた夢。農家の大変さを都会の消費者に理解してもらいたいですね。と愚痴りたくなるほど慌ただしい生活ですが、先輩や地域の方の支えもあり、贅沢はできなくとも大きな安心感があります。
 私にはもうすぐ二歳になる娘がいます。この増富が彼女の故郷になります。この地域で昔から受け継がれ、守られてきた伝統や知識、そしてこの豊かな自然環境が我が子の根幹を作るはずです。私と妻は移住者ですが、今ここに住む親として子に何を伝えられるのかを考えるようになりました。ここを故郷にもつ娘や、その先の世代のためにも、私もここの伝統や知識、そしてこの自然を守り伝えていきたいと思っています。自分が感じている小さな幸せを、娘もいずれ同じように感じてくれたら嬉しいです。
 未熟者ながらそんなことを想う今日この頃です。

〇工藤耀日美術館由来

神戸集落 工藤賢司さん 

 私は画家で、若い時から大作品を描き色々な美術館や画廊で発表してきました。当地に来る前は、中国の世界遺産「黄山」にアトリエを持って十八年間中国を中心に制作活動をしていましたが、人生の総仕上げを日本でなすと決め、大きな建物を探していた時に、山梨に住んでいた人の紹介で黄山に似たみずがき山と増富中学校を見て心に深く感じるところがあり、当地を拠点に芸術活動をすることに決めました。
 二〇〇四年増富中学校閉校。北杜市と賃借契約をして絵画創作を始め、徐々に作品を展示していき、現在は木造校舎と体育館にも展示が終わり、「工藤耀日(くどうてるひ)美術館」として一般公開しています。
 住み着いて思うことは、静かで空気がよく、植物が豊かに育って気持ちよく、また近くにみずがき湖や増富温泉があり、これらを利用することで心身の健康にうれしい効果ができていることはとてもありがたいことと毎日感謝の生活をしています。ただ住人が年々少なくなり、空家が増えていることはさびしい。
 コロナ禍の前に美術館への来館者が多く賑わっていた時に感じたのは、観光バスが入って来る道がないことでした。希望としては、バスが楽に通れるように道を広げてほしいこと。そして活気のある地区になってほしい。
 そのためにも、もっとすばらしい作品を創作していきますので、よろしくお願いします。

〇理想の田舎暮らしへ

黒森集落 城健太さん

 いつの頃からかは覚えていませんが、「自分の気に入った環境で田舎暮らしをしてみたい。」という漠然とした考えを持つようになりました。
 二十代半ばに差しかかる頃、フォトグラファーという職業を志し、日々の仕事や暮らしに目標と期待を持って地元の神奈川から上京しました。しかし、東京でフォトグラファーとして生活を送る中で感じるようになったことは、日々の生活が便利で都会的な刺激もあり人間関係も不快ではないけれども、生涯をこの東京で暮らしていくのだろうかという思いでした。このまま都会暮らしをしていくというイメージが持てなかったのです。一方、年齢を重ね様々な人と出会い、刺激をもらい、経験を重ねて行くにつれて、今まで持っていた人生に対する価値観や理想にも変化があり、そこで気持ちの片隅にあった「田舎暮らし」というものに挑戦をする決意を固めました。
 様々な人の助けやご縁から、昨年三月より妻とともに増富地区黒森集落での生活が始まりました。ここでの生活で最初に思ったことは空気の良さです。朝、窓を開けた時に流れている爽やかな空気や散歩をしている時に何気なく漂っている心地良い香りの空気がとても印象的に感じたのを覚えています。
 集落の方々の懐の深さや優しさに触れてここでの生活に対する不安はなくなりましたが、地に足をつけこの地に根づいた生活をするためには安定した仕事は欠かせないと思います。そのためにも今行っている農業の研修を充実したものにし、より多くの経験や技術を身につけて行かなければならないと思っています。
 これからも様々の人の助けを借りながら豊かで充実した「田舎暮らし」を実現できるように日々大切に生きていこうと思います。